平成21年度保美貝塚調査の概要

保美貝塚の概要

保美貝塚は、日本でも有名な縄文時代晩期(2300~3000年前)の貝塚です。田原市保美町平城地内に所在し、福江湾に注ぐ免々田川の西側の台地上に位置しています。これまでに、A・B・Cの3地点の貝塚が確認されています。

明治36年に大野雲外によって調査され、はじめて学会に紹介されました。大正11年、昭和16年・39年・40年・41年・51年と発掘調査が行われています。

埋葬された人骨は30体以上が確認され、縄文時代の土器・骨角器・石器・土偶・動物の骨・貝が見つかっています。弥生・古墳時代の遺物も豊富です。

調査の経緯

調査は、民間の開発事業に伴い民間の開発業者から委託を受けた調査組織(株式会社 二友組)が田原市教育委員会の指導のもと、8月20日から11月5日まで実施しています。調査面積は約400㎥です。

調査の概要

発掘調査地点は、C貝塚と呼ばれる保美貝塚の西端にあたります。かつてあった建物の敷地造成によって削られたうえ、建物の基礎部分によって壊されていますが、これまでの調査で縄文時代晩期後半を中心にした貝塚(厚さ10~20cm)が確認されています。

遺構 貝塚のほか縄文時代晩期の埋葬された人骨10体分が発見されました。2号以外は、建物の工事によって壊されたか、もともと貝塚に混ざっていた人骨と考えられます。

1号人骨 体を深く右側に折り曲げた屈葬と呼ばれる姿勢で埋められています。10代の若い男性です。残念ながら上半身は建物の基礎で壊されています。体は頭をほぼ北に向けています。
2号人骨 がっしりとした体格の熟年の男性。全身を伸ばした姿勢(伸展葬【しんてんそう】)で葬られ、見つかりました。右足の甲には、土製の円盤が供えられていました。
6号人骨 妊娠経験のある若い女性。左足付近から、イノシシの牙で作った装飾品が見つかりました。
7号人骨 足、しかもすねから下部分しか残っていませんでした。しかし不思議なことにこの人骨はすねが下向きになり、うつ伏せ状態で埋葬されていた可能性があります。
8号人骨 大人の男性と考えられ、頭は東北東を向け、体をまっすぐ伸ばした状態で見つかりました。足から下、頭の部分は壊されています。特筆すべきことは、腰あたりに、腰飾(シカの角でつくられた男性に多いアクセサリー)が見つかったことです。全国に見て死者にこのような腰飾を伴った事例は渥美半島に集中するため、この地方独特の文化といえます。
9号人骨 幼い子どもの部分骨。

埋葬されたイヌも3体以上あったと考えられます。その他、ピット(不明な穴)が全域に、時期不明の深さ1.5mのV字の溝(戦国時代の可能性あり)が見つかりました。掘立柱建物(溝に伴うか)も見つかっています。

遺物 石器では鏃、斧、錐、石皿(物をつぶす台)、たたき石、剥片が見つかっています。石器の材料は地元産の石(チャート)のほか奈良県のサヌカイト、岐阜県の下呂石、長野県の黒曜石など、遠くから運ばれています。保美貝塚では、鏃が大量に見つかることが有名ですが、今回の調査ではさほど出土していません。

骨角器は、渥美半島では鏃と組み合わせ矢として使う根バサミ、魚を突くヤスがたくさん見つかりますが、今回の調査ではあまり見つかっていないのが特徴です。大型の魚を釣るための釣り針、ハマグリの貝刃、チョウセンハマグリのへらが見つかりました。

縄文土器は晩期前葉から後葉の土器が見つかっています。貝塚や周辺から最も多く見つかっているのは五貫森式土器と呼ばれる縄文時代晩期後葉の土器です。

装飾・特殊品では鹿角製腰飾、シカの角で作られた弓はず、ヒスイの玉の破片、イノシシ・イヌの牙製の垂飾(ペンダント)、石刀・石棒(マツリに使われた)蛇紋岩製の小型石斧が見つかっています。渥美半島の特産品とも言うべき貝輪(ベンケイガイ、サトウガイ、アカニシ、イタボガキ)、及びその未製品が見つかっています。

イノシシ・シカ(この2種が多い)、イルカ、クジラ、イヌ、その他小動物(ムササビなど)、鳥、魚(フグ、クロダイ、スズキ、エイ)のなどの骨が見つかっています。今や絶命し、その標本がほとんどないニホンアシカも見つかっています。貝は、アサリを主体とし、ハマグリ、アカニシ、スガイ、イボニシ、ツメタガイ、マガキ、ミルクイ、オキシジミ、ダンベイキサゴ、イタボガキなどが見つかっています。動物の骨、貝は整理によってさらに種類が増えると思われます。

そのほかの遺物は、弥生時代から鎌倉時代の土器、戦国時代の陶器、弥生時代の多孔銅鏃が見つかっています。

調査成果、出土品の整理から期待されること

渥美半島からは縄文人骨が多く見つかり、日本人の成り立ちを研究する重要な資料を提供しています。見つかった縄文時代の人骨からは当時の人たちの姿、分析によってはどのような食料を食べていたか、どのような集団に属していたかなど、様々な情報を得ることができます。埋葬の方法、死者に供えられたアクセサリーなどで、生前の社会的な立場もわかることでしょう。見つかった土器や石器などの道具は、当時の人たちの生活の知恵やつくるための技術、社会的な交流を知ることができます。また、動物の骨、貝の種類は、保美貝塚の人々の生業や周辺の自然環境を知る上で貴重な情報を得ることができます。そして現在生息する、動物、貝と比較することで渥美半島の自然環境の変化を具体的に知り、現在生きる私たちが自然環境を考える上でのヒントを得ることができましょう。動物遺体の出土状況、狩のなどの道具の状況を見ると、吉胡、伊川津貝塚の人々と比べ、外洋漁業、陸獣の狩猟を盛んに行った、たくましい保美貝塚の人々のくらしが浮かび上がります。

保美貝塚は渥美半島の三大貝塚(吉胡・伊川津・保美)として名が知られ、遺物の発見も多い日本における縄文時代研究上、重要な貝塚ですが、正式な調査報告がないために遺跡の内容がわかりません。今回の調査によって、保美貝塚の概要が解き明かされることに期待します。



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